最近チェスにハマって、友人たちとゆるりと遊んでいる。腰を曲げてチェス盤と睨み合いして呻く様、いよいよジジイだ。

元よりルールは知っていたものの、深く学んでみようと思ったのにも理由がある。カナダで見た、深夜のカフェの一角を勝手にチェス大会の会場にして朝までわいわいやっている老人たちが楽しそうだったから。

こういう老後が歩めるといいよな、と直感した。
昔、西成を歩いていたらホームレスのおっちゃんに「おーい将棋指さんか」と誘ってもらえた。この場所では、誰とか無関係に、とにかく暇つぶしでその場を通った者と将棋を打つ。ポケモン世界みたいな、ある意味で児童館で無差別に遊ぶ児童のようで心地よかった。
チェスであれば世界中で実践できる。
たとえば、カナダ一人旅の深夜だって、ここでそれなりにチェスの腕があれば、彼らのコミュニケーション力ならすっと混じりにいけたかもしれない。向こうでは気軽にそういうことが起きる。残念ながら、僕は彼らのように真剣にチェスを指す者に手も足も出ないでしょう。
せめて、後方から眺めて盤面の空気がわかるようになりたい。今後まだまだ世界を回っていく際に、チェスを通して飛び入りのコミュニケーションができたら素敵だろうと目標ができた。
さて、話は変わり、チェスは将棋のように取った駒を使えないので、終盤互いに火力不足になりがち。引き分けも多いゲームだ。僕らも初めは決定打が掴めずぐだぐだと試合が長引いた。
チェスでの降参方法は非常に洗練されている。自らの王を横に倒す。土下座のような降伏宣言。これが互いにとっても気持ちがいい。「まだまだ引き伸ばすことはできるが、そんなこと意味がないと察するくらい自分は試合内容で負けた」という意思表明であり、紳士的である。
引き際を知る、自身の敗北を潔く認めるカッコよさ。キングを寝かせる動作のスマートさがチェスだなあと理解する。面白いことに、相手が潔くサレンダーした際、「紳士的でカッコいいぜ」と認識してしまう。冷静な判断に対してこちらが負けた気すらする。これが戦場であったなら、彼らの兵は捕虜として丁重に扱えと命令するでしょう。王の首を眺めて、「気高き男よ……」と尊敬の念を抱く。
人間は、負けどきを悟れる美学がある。
そういった精神を白と黒の盤上で知る。
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