デヴィッド・リンチの悪夢

デヴィッド・リンチの悪夢

書いた人 : nyalra nyalra

※2025年1月25日に投稿された記事の再投稿です。




 デヴィッド・リンチ『マルホランド・ドライブ』。

 4Kレストア版が特別に上映され、僕を含めた数奇者たちがリンチの死を偲びにいく。尊敬する作家の訃報に対し、僕らオタクは作品へ耽り、語り継ぐことだけが正解に思える。

 平日昼間からリンチの心象風景を覗きにやってきた数人の観客たち。観賞後には、奇妙な連帯感すら感じてしまった。だって、同じ悪夢を乗り越えた同士なのだから。


 さて、マルホランド・ドライブ。本作はリンチ作品の中でも際立って評価が高く、「カルトの帝王」でありながらも多くの賞を手にしている。個人的にはリンチ入門には『ブルーベルベット』を勧めたいけれども。

 得てして、特異な作家の中で名作と呼ばれるものは、作品群のなかで比較的わかりやすいことが理由として大きい。リンチならブルー・ベルベット、ゴダールなら気狂いピエロが代表作扱いなのは、ひとえに(その監督にしては)スッキリしているからでしょう。


 一方、マルホランド・ドライブはいっさいの遠慮がない。ここまで難解な本筋に反して名作たり得ているバランス感覚こそが、デヴィッド・リンチなる男の到達点を感じさせる。要するに僕はとても好きな映画なのだ。

リンチは自身の悪夢を映画にする。


 僕らは彼の極めて主観的な世界を覗かせてもらっている。自身の感覚世界を映像化することに関してリンチの右に出る者はいない。これはリンチが視ている感性そのものだ。

 だから、答えはある。これが非常に厄介なのだね。たとえば、つげ義春の『ねじ式』は浮遊感が気持ちがいい名作短編ですが、あれは夢の漫画化なので答えはない。つげさん自身も、あの作品に「なんらかの答え」を含ませては居ないはずで、だからこそ他者では表現できない味が生まれている。一方、リンチは感覚の世界に「答え」を埋め込んでいる。けれども、僕らは何度も何度も彼の作品を見たとて、その一端がようやく掴める程度でしか無い。あまりに主観そのものすぎて本人だけの理屈と真理で構成されているのだもの!



 拙作のゲームでも引用し、復刊時に解説も務めさせていただいた詩集『好き?好き?大好き?』とも同様の傾向を感じる。

好き? 好き? 大好き? (河出文庫 レ 5-1)

 この詩篇たちは精神科医がカウンセリングを通して聞いた精神病患者たちの言葉をポエミーに起こしたものである。他者の理解を必要としていない、究極の感覚世界だ。当人にとっては当たり前でしかない答えを話している。

 僕も、幻覚世界に飛び込んで統合が狂った経験は何度かある。思考と思考が勝手に接続され、「真実」が形成されていく。もし、この状況で「宇宙人はすでに日常に潜んでいる!」と叫びだした場合、脳みその中では狂気どころか非常に筋の通った理屈が展開されているのです。けれど「宇宙人は隣りにいる!」とだけ言われても、みんなわかってあげることはできないんだ。

 つまるところ、リンチはバッド・トリップ地味た世界を誰より映画に落とし込める天才だった。そりゃ他人の悪夢へ、異質な精神世界へ飛び込めるのなら、僕らゴシック者は喜んで劇場へ駆け出す。デヴィッド・リンチ作品を次から次へと漁ってしまうのは、悪夢ジャンキーになってしまったからなんだね。


 『マルホランド・ドライブ』では、映画業界、特にハリウッドでの光と闇、主に闇部分に焦点があてられる。本作の芸術的評価の最たる部分として、僕は「表現のためなら登場人物をシャッフルすることを一切厭わない」姿勢ではないかと感じた。

 もちろん、これも個人的な解釈の一つでしか無いですが、本作は「闇」の正体に対して複数のキャラクターで表現している。言葉にすると難しいけれども、唐突に「アレなんだったんだ?」と困惑するシーンがたびたび挿入され、その場限りの不可解な登場人物も多数。それらはきっと、主要人物の精神と同一の存在で、女性の主人公の苦悩を、次のシーンでは新キャラのおっさんで表現しても良いとリンチは考えているのではないか。夢ってそうじゃない。視点が定まらない・人物に一貫性がないことは、悪夢にとって逆にリアリティを生んでいる。そんな構成、凡人には千回ひっくり返ったとてできない。

 悪夢……バッド・トリップとしては大大大正解なのだ。そんな世界観が非常に気持ちいい。


 そんな悪夢集のなかでも、『マルホランド・ドライブ』は必死に喰らいつくと本筋がうっすらと見える。現にリンチはオフィシャルサイトへ「デイヴィッド・リンチによる10個のヒント」を書き残していた。かくいう僕も、細部までとはいかずとも「リンチが映画業界のどこで苦悩したか、ストレスやプレッシャーとして追い込まれたり、罪悪感を背負ったりしたか」を一回でそれなりに読み取れたつもりでいる。夢・幻であれどもリンチは真摯にそのままを描いている。


 きっと、みんな「感覚をそのまま」表現できるなら、現実そっくりに写実的な風景にはできないでしょう。写実とは、一般に通じやすい最大公約数のようなものに思える。リンチは「本人だけの視界」を忠実に書ける。

 唯一無二の才能。

 そんなリンチの時代にも区切りがついた。カルトの帝王は眠りについた。


 次のミッドナイトシアターで王座につくのは、いったいどんなゴシック者なのでしょうか。


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