前回の。
3話に続くAmeの内面について、というか内面世界のみで構成されている回ですね。
この回だけ明確に「原作をやろう」と考えていたので、ゲーム版でのあるエンディングの流れにある程度なぞっています。
となると、必然的にOPはこうなりますね。
脚本には「オープニングはバグっています」とだけ指示を書きました。予想の何倍ものバグり方をしていて驚く。

「観てもらう」以外にないので、内容に関しての話はあまりしません。人間の内側の話であって、それは本人すら理解できないブラックボックスなのですね。今回は、Ameのそんな自閉した箱の中の一端が覗けます。

いわゆるトリップシーンですが、こちらはどうでしょう……自分としてはおふざけ的な部分やパロディなしで「バッド」を走りきった方が嬉しかったのですが、普通はバッドトリップにどこまで拘るかの話ですし、アニメ的にAはちょっと緩めになっていました。
規制もすごく多い回で(それでも音声だけでだいたい分かるので問題ないよう調整した手腕はさすが)、自分のセンスのみ全開だと本当に流せなかったかもですし。
エヴァパロのところは、稲垣さんらがエヴァ序破あたりからアニメの仕事をどんどん手掛けていった名残(?)手癖(?)ですね。
ただ、自分としては上の世代がいつまでもすべての表現をエヴァと認識すること(現代だとシャフトか)が好きではなく、庵野さんとちがう方向性から特撮やキリスト・クラシックの話ができたなあと10話が気に入っていたので、ここで「結局エヴァか」と認識されないか不安です。僕としてはエヴァは好きだからこそパロも引用もやらないよう心がけていたりします。どうでもいいか。

ちなみに、自分が最も大きなバッドに入ったトリップは、今回のAmeに近いような遠いような。特に困ったのが幻聴で、老若男女ありとあらゆる人物たちが遠巻きに僕を嘲笑う声が脳内で鳴り止まない。ノイズキャンセリングイヤホンで音楽を流しても、鼓膜でなく脳みそへ直接くすぐられている感覚が余計に強くなるだけで、とにかくこの声が止まるならなんでもいいと飛び降り自殺しようとしたんですね。
が、その時から2階に住んでいたので飛んでもどうにもならん(自殺対策)と、さらに焦りが激しくなったので、生活保護の高校時代からの友人が、コンビニ夜勤時に現実から逃れるためウィスキーを飲みながら宮沢賢治を諳んじて精神集中したことを思い出したのです。
鳴り止まない嘲笑のなか、「わたくしという現象は……」と口に出すと、なるほどこれはすごい。賢治の詩は、なによりテンポがいい。声にしていくと心が浄化されていくような心地になる。これが「最も純粋な日本語」なのかと、その瞬間に理解した出来事がありました。
なので、先日のnoteでも書いたように、いまも衝動的に飛び降りないよう低い階に住んでいます。まあ、代わりに一度タオルを結んで首にかけるようになったけど。ドアノブが斜めって外れました。
そういった話を飛び込んだ診療所で話すと、「死にたくなっちゃうんですねー」と返されます。
はい! 今すぐここで首をかっきって血まみれにしてやろうか。

どんなに気を張っていたって、若い女の子ですから。そりゃアンチなんて殺したくて殺したくて仕方ないに決まっている。それでも……。
インターネット・エンジェルを目指し、人々を救うためだけに献身した彼女は見事にネット上の若者たちから称賛されるトップ配信者になりました。
代わりに、いや、最初から実のところ他人なんて愛することができませんでした。あまりに人類全体のことを考えると、個人がおろそかになるのです。
彼女が好き?好き?大好き?と一体化したかった相手、ピは自身が都合よくストレス処理するためのイマジナリーだったのですね。
いつの間にか「自閉した」傲慢な神様が道を誤り始めるのは、古今東西どんな神話でも描かれる必然。神の存在を考えるあまりに神を殺さなくないといけなくなった、実存主義なロシアンガールたちの絆に成敗されるのは歴史の流れとして当然です。

それを理解することができなかったのは、彼女のみでした。
彼女の間違いは、自閉症です。
他人に気を許すことなく、「インターネットの人々を導く」という過剰な妄想に囚われ、メサイア・コンプレックスのように、身を粉にして他人を救済する己に酔ったのです。
自らの世界観に陶酔して袋小路に入ったのは美血華も同様です。どちらも一歩間違えたら逆だった可能性は大いにある存在。その場合の美血華は不完全な状態のまま後に引けず自殺を完遂してしまっていたでしょう。それはそれで幸福かもしれませんが。

が、彼女はかちぇと仲間たちを信頼することができ、協力的なリーダーの援助を受けて真っ当に精神科に通えるようになりました。
両者の道がちがった結果は、僕は「運」でしかないと思う。
美血華は、教室に友人ができてしまったばかりに死ぬことができず、Ameはイマジナリーの自分に殺されるほどの人間にはなれました。

ゲーム版のエンディングは、このような流れが抽象的に描かれます。
この流れを、真にインターネット・エンジェルを描くには、彼女を撃ち殺す存在の絆を丁寧に描写し、彼女の傲慢をどんなにファンたちに嫌われても描き続ける必要がありました。
それでも、まだまだ分からないことも多いはずです。
でも、それでいいのです。
人間の「中」なんて、本人も含めてわかった気で居る以外にないのですから。

「自分の何が間違っていたのか」なんて、実のところファンやアンチに指摘されなくとも、自分が一番わかっているんです。頭の中は、つねに自分と自分の裁判ですよ。
間違っているのはわかっているけれど、誰かに肯定してほしいじゃないですか。

この回では野菜がなんどか登場しますが、それはきっと制作側の隠語だと思われます。でも、僕は本当に大麻的なものは求めてないですよ。だって、幻覚が見れるわけじゃないですから。べつに気持ちよくなりたいわけでなく、人間の限界を超えた近くの扉をくぐりたいのです。
なので、もし僕自体がこの話全体に小ネタを仕込んだなら「どこへでも行ける七色の切手」だったでしょう。まあ、どうでもいいですね。みなさんにとっては。
そういったアレコレあって規制も多かった11話ですが、なんと明後日くらいにWOWOWでは無修正版が放送されます。やったね! 僕にもネオランガくらい、「観る人が観ればいい」アニメを作らせてください!!!


貴重なAmeのお友達。
イマジナリーフレンドは、自分にとっても思い入れある存在です。中学時代の自分は、片っ端から美少女ゲームをプレイして、脳内に構築された理想の妹と暮らし、たまにふらっと帰って来る母を待っていました。
自分の場合、底辺しか存在しない工業高校で、先述したような「ウィスキー片手に宮沢賢治を諳んじる、人間嫌いの友人」ができたので収まりましたが、そんな出会いもなかったAmeは「全肯定の恋人」も創造することとなります。

自分の脳内もアリスちゃんでしたね。
やっぱり、彼女はどこまでいっても「夢」と「ロリータ」の象徴で、彼女といっしょにラビット・ホールに落ちておとぎの世界に飛び込めるんじゃないかと妄想してしまうんですよ。
そういった「理想の美少女」を追い続けているうちに、この概念に「タルパ」なる名称がでてきので、タルパをテーマにした漫画をゆめつき先生と連載していたこともありました。

読んでみてね。
逆に言えば、「にゃるらにとっての妄想の美少女の集大成」が超てんちゃんであったと思います。ようやく脳みその痒いところにいた女をぽんと取り出せたのです。
そうしたら、こんなことになりました。

ウサぴょんは僕の脳内に居ないです。
中学時代は美少女然とした萌えキャラかなとお久しぶり先生に話した際、彼女の趣味でいつの間にかバニーになっていました。かわいいね。ウチのAmeと仲良くしてくれてありがとうねえ。死んだけど。

11話、ありがとうございました。

母親役は引き続き桃井さん。先週、なんと対談させていただいたのですよ。
僕が最も憧れてきた女性です。
娘のような超てんちゃんと、その母親役として並ぶモモーイの姿には感動しました。ウサぴょんの声は実は桃井さんでなく超てんちゃんの方で、小麦ちゃんライクなセリフを桃井さん本人の横で唱える結果となり、台本時には想像もしていなかったシチュエーションに運命を感じます。
要するに、イマジナリーフレンドたちも全員超てんちゃん本人なので、Ameを含めて一人4役くらいを行うBパートでした。壮絶!!!

あえて幼さが残った声のほうがリアルだなあと、あめ母の声には途中から「桃井さんそのもので」と指示をさせていただきました。僕が幼少期に聴いた、小麦ちゃんそのものの声が現場に現れ、恍惚としたものです。
他の方々は壮絶な内容に耐えきれず、11話の現場は驚くほどどんよりとしていました。みんなめちゃくちゃ疲弊していた。プロデューサーの木村さんが「こんな内容の脚本を書ける人生を歩んだ人間がいることがすごい」とポツリ漏らしたことが嬉しかったです。たしかに。この内容はなかなか出てこないね。


二人とも、ありがとう!!!
エンドカードはNaguさん。
一生、応援しています。きっと永遠に。
応援ソング(?)の英語歌詞はKarenさんが担当しています。
この流れが生まれた僕の執念を感じてください。
僕は、英語圏のオタクたちを心から尊敬しております。
MVは色々あって、今までお世話になったヒナさんが担当。「あめちゃんはすごく似合っている自信がある」と本人も仰っていた通り、自分もこの人のAmeはすごいなあと毎回驚かされます。超てんちゃんが似合っていないとかでなく、この天性のツリ目とあめちゃんの相性がいいよね。

次回をお楽しみに!
あと2話だけ続きますよ。
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