『ソドムの市』徹底したグロテスクが誰を救うのか

『ソドムの市』徹底したグロテスクが誰を救うのか

書いた人 : nyalra nyalra


 二十歳前後の頃、ずっと陵辱ゲーの暗い世界が好きだった。そこにはドス黒い肉欲しか存在していなくて、綺麗事や倫理を越えた人間の本質だけが描かれ、その地獄絵図に居場所を覚えた。身綺麗な男女がイチャイチャと交わるだけの作品たちに何一つ唆られなかった。

 マルキ・ド・サドが描ききった残虐なまでの狂気を帯びた小説たちは、持たざる者であった僕にとっては月のように魅力的だった。家畜人ヤプーも好きだった。人間が人間として扱われない異常な状況こそ正常に思え、ページを捲るたび正しいことが起きている居心地の良さに安堵した。エロゲーだって、わかりやすく文学性のあるものを話題に出しているのであって、真にのめり込んだのは『臭作』『学園ソドム』『催眠学園』など、キラキラのかけらもない精液臭いやつらだった。


 『ソドムの市』。

 マルキ・ド・サドの原作に、パゾリーニが文字通り命をかけて政治的メッセージを入れ込んだ怪作。パゾリーニはこの作品の完成後に不審な死を遂げる。大いなる芸術を作り上げたことでの犠牲だ。

 パゾリーニは、本作を通して徹底的に「露悪」「グロテスク」を繰り返す。奴隷として権力者たちに飼われる男女たちへ、一切の救いを与えない。彼ら彼女らが神に祈りを捧げるたび、相応の地獄を与える。この世に神なぞ存在しないこと、綺麗事の否定を執拗に行う。目に見えた罰として。

 権力者たちは人間に家畜以下の暴力を与え、異常なまでの快楽を貪った。人が人にここまでの仕打ちを、食糞、拷問、洗脳。目を背けたくなるような映像の連続を、パゾリーニは全く手を緩めずに流し切る。約2時間の非道と露悪、まるで幽遊白書に登場する「黒の章」が展開され、そこに救いを入れなかったことこそ、監督が作品で描ききったメッセージ性とアイロニー。エンターテイメント性を排した「芸術」であった。

 しかし、金と権力が人間を狂わせるのは事実であった。そもそも奴隷貿易自体は疑いようのない歴史的事実だ。それも、そう遠くない過去での。

 逆に、持たざる者だった自分が世界を呪って、こうしたアンダーグラウンドな場所にのみ安心を感じたのも事実であった。

 そのような真実が目の前で繰り広げられ、そこへ「わかりやすい」勧善懲悪や起承転結をつけなかった英断に、拍手を送りたくなる。人は、どこかで逃げ道を作りたくなるものだ。『ソドムの市』だって、「この残虐さには深い罰と理由がある」と、わかりやすく視聴者に訴える要素を散りばめることも可能な構成である。が、パゾリーニはそんな興醒めなことをせず、受け手の同士に伝わると信じて、徹底して「悪」を走りきった。結果が、各国での上映禁止や批判であるが、そこに一つの「芸術への答え」があることを僕らは知っている。



 同じく問題作であった『カリギュラ』も、やはり僕の心へ強く残り続けている。


 作品には、必ず「そこでしか救われない者」たちが居る。

 一般層が求める、快活な意味や価値観では測れない、呪いや意志が存在し、怨念が他者を救うこともある。

 僕らはフィクションでしか救われない。

 だから、虚構を愛し、虚構を築き、虚構に生かされていく。


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Anonymous 2時間前
"We’re the kind of people who can only be saved by fiction. So we love fiction, we build fiction, and we go on living—kept alive by fiction." I think this finally encompasses why I love visual novels so much. Thank you. I'm working on my own visual novel now, and you're a big inspiration. Very excited for your future works!