久々に学校へ来てみたら、教師になんとも奇妙なことを頼まれた。夏休みを境にすっかり不登校になったクラスの女子の様子を見に行って欲しいと言うのだ。
とても気難しい子で、大人の話も、恐らく真面目に登校している同級生の話にも聞く耳持たない。そこで似たような境遇の僕へ白羽の矢が立ったのだ。
というわけで、ジャスコ近くの団地へやってきた。この団地は沖縄でも特に治安が悪い。クラスのヤンキーたちはだいたいここに住んでいて、夜になるとエントランス付近でバイクに跨りながら駄弁っている。
チャイムを鳴らし、お母さんに導かれて部屋に上がる。成り行きとは言え、女子の部屋に乗り込むなんて緊張する。団地内には同じ不登校仲間の友人たちが多数散らばっており、まだ授業時間の際には遊びに行ったりしている(早い時間に外を歩くと補導されるので)から内装はだいたい想像がついていたのだけれど、この子のリビングも例に漏れず似たようなもの。
大きな茶色いテーブル、テレビ、ごちゃごちゃの台所。きっと、この団地の9割の家庭がこの形だ。僕が母と暮らしている1Kより広くて羨ましい。僕ら親子は団地の抽選に外れ続けている。そのせいで僕は中学になっても自室がない。
なんだか、「似たようなもの」とはいえ、自室を有している彼女が羨ましく思えた。僕は、つねに母親の前でギャルゲーをしたり、萌え萌えアニメを観なければならないんだぞ、と。
そんなことはどうでもいいとして、襖を開けると彼女の部屋だ。どこにでもある和室を想像していたので、面を食らった。部屋中がぬいぐるみで埋め尽くされている。夕陽差し込む窓のそばに勉強机が唯一の生活感を醸し出していた。まさに「拗らせた思春期女子」そのものである。
「……どなた?」
ふと話しかけられ、さらに驚いた。
あまりにぬいぐるみに馴染んで気づかなかったが、ピンクのドレスに身を包んだツインテールの少女がぺたんこに座って上目遣いで僕を見つめていたのだ。なんと和室に似つかない格好だ。ここまでぬいぐるみ尽くしの空間で派手な格好の小さな女の子が居ると、脳が「お人形」だと認識してしまうようだ。
「先生に様子を見て来いって言われて」
「クラスのひと?」
「たぶん同じクラス。僕も学校をよく知らない」
「様子って、なに?」
「それもわからない。けど、僕の家にも朝になったら近くの同級生が起こしに来るんだよ。いっしょに通学しろと先生に命令された人がね。僕も、きっとキミを学校に来させるための生贄なんだ」
「……あんなところ、行かない」
「それでいいよ。キミを連れていくメリットなんかないし」
きょとんと黒々した瞳。肉声を聞いても、なおお人形のようだ。いわゆるロリータ不思議ちゃん、か。こんな子、沖縄人丸出しの体育会系な先生じゃ会話にならんだろう。どちらも怯えて言葉に詰まる様が目に浮かぶ。
「一応、様子をみてって言われたから訊くけど、なんで学校行かないの?」
「あんな汚いところの空気を吸ったら穢れるから」
まったく同意だ。物言わぬ熊やうさぎに囲まれた狭い和室は、言うなれば彼女にとって安全な無菌室か。自分にとっての聖域が完成しているのにわざわざ汚れに向かう人間も、そう居ない。
「なら、こうして学校から遣わせて派遣された僕や教師は悪魔の使いだな」
「悪魔ならいい。悪魔だらけの地獄の門なら喜んで開くけど、教室の扉はただただつまらない人たちの退屈で醜い瘴気が充満している。息が詰まるの」
「僕も行くたび息苦しく思ってる。鼻呼吸できない体質だから余計にね」
「みんな死ねばいいのに」
俯いて、お気に入りのうさぎを撫でた。カールしたまつ毛がツンと天を刺す。こんな暑苦しいロリータ服では、沖縄の気温に耐えきれない。彼女の小綺麗な人形らしさは、たしかに冷房が効いたこの部屋の中でしか保てないだろう。
「学校行く気ないとだけ伝えておくよ。僕も次はいつ行くかわからないけど」
「そうして」
「これから、僕らどうなるんだろうね」
「……レールから外れた女子は風俗、男子は力仕事じゃない?」
「じゃあキミは辻で夜職やるのか。ロリータ服の未成年に那覇中のマニアが集まるのか」
「将来のことなんて考えたくない。だからドレスを着てるのに」
しゅんとさせてしまった。不思議なものだ。僕らはすぐに「将来どうすんの?」と訊かれ、そのたびイヤな気持ちになる。とりあえず今を楽しんだら悪いのか、お前ら受験勉強や就職を目指すやつらじゃ、毎日シムシティのメガロポリスRTAに挑戦する余裕ないだろう。
未来がある前提で話をしてくるな、と。それでも、いざ自分以上に「この人どうするんだろう」と心配になる子を眼前にすると自然に尋ねてしまった。思春期ガールにありがちな凡庸な問いを投げた自分が恥ずかしい。
「フリルの数だけイヤなこと忘れられるの。だからずっと着てる。本当は畳の部屋もいやだけどね。でも、おばあちゃんっぽい匂いは嫌いじゃないし。ここがフローリングで天蓋付きのベッドも置いてあったら、それこそお姫様が目覚める理由はもう無いし」
「肌を見せないぶん、外気に当てられて穢れず済むんだね」
「うん。将来なんて大っ嫌い。できることなら、今死にたい。畳の上のお人形でありたい。大人になりたくない。きっと18や20になる頃には違った自分になってる。夢見る人形じゃなくなってる。お金の話をするかもしれない。そしたら、わたしが世界を穢す方になっちゃうよ。綺麗なままで居たい。それって、そんなに悪いこと? 体育なんかで汗を流して社会に馴染む訓練させられて、なんでそんな酷いことができるの?」
「残念ながら、世の人々は潔癖じゃないらしい。お人形で遊ぶ方であって、持ち主は人間だよ」
「かわいいことだけ、綺麗なことだけ教えてきたくせして、胸が膨らんできたら、みんな見る目が変わってきた。急に性とか恋とか、なんだか気持ちの悪い話が当然になって。みんなそれをおかしいと思わない。女子は男子に下品な言葉を投げられて当たり前って、揶揄われて怒ったらノリが悪いって。常識が俗に塗り替えられて、自然とみんな受け入れてる。みんなもうお人形なんて捨てちゃってる。寂しい時に話しかける相手はケータイ越しの異性になってる」
「僕が本当に悪魔の使いなら魂と引き換えに時を止めたかもしれない。本物のお人形にしてやれたかもしれない。でも、そんなことできないから」
彼女の勉強机からトイカメラを拾う。部屋にカメラがあることは分かっていた。お人形になりたい女の子が自分を映さないわけがない。けれど、自撮りだけでは骨だろう。
「このカメラで一瞬を切り取るよ。そのままぺたんと座って虚空を見つめて。写真の中だけは永遠になるから。オンボロな沖縄の団地に、お人形のようなドレスの似合う女の子がいて、ふわふわのぬいぐるみに囲まれて、畳の上でキラキラ輝いていたって、この瞬間は穢れないまま残るから」
カシャカシャと、微妙に角度を変えて撮っていく。斜め上からの構図は、彼女の長いまつ毛が目立って余計にお人形だ。この角度は一人じゃなかなか挑戦できなかっただろう。
もしかしたら、この想いすらホルモンバランスの崩れた思春期の一瞬で、2.3年後の彼女はぜんぜん安定してカフェでアルバイトでもしながら専門学校でも目指しているのかもしれない。夜間の学校に通って近い感性の友達に囲まれているのかもしれない。案外、18の頃には真っ当な女性としてそれなりに社会に馴染んでいても不思議じゃない。その時はもっと胸が膨らみ骨が硬ばり、きっとこんなオモチャサイズのロリータは袖が通らない。
僕らの拒否感なんて一時の気の迷いで、成長した彼女は二度とフリフリのスカートなんて履かないかもしれない。
永遠になるために死にたい、その気持ちは痛いほど分かる。僕だって今の彼女が永遠であって欲しい。トイカメラの中だけの想い出で終わるのは悲しすぎる。ぬいぐるみと融ける少女の写真を見せたって先生は納得しない。教室のみんなにだって伝わらない。
様々な嘲笑と拒絶に苛まれてシワが増えるくらいなら、たしかにここで永遠になって欲しい。無邪気に走り回っているだけで周囲が笑ってくれた記憶を抱きしめて。でも、人は永遠にならない。
「できるだけ長く、一秒でも長く穢れずに居てね」
いつまでも他人の聖域を男子が踏み躙るべきではない。写真を確認すると、僕はさっと無菌室の襖を開けてリビングへ踏み出す。彼女の言う「瘴気」の中へ。テーブルの上には、味噌汁とシャケとご飯。お母さんが作ってくれたのだ。おそらく彼女も実は人間なのだから、こうした一般的な夕食を口にする。フツーを繰り返し、少しずつ彼女もフツーに近づく。
すっかり夜。団地のエントランスでは、茶色や金髪のヤンキーたちが屯して大笑い。彼らもまた、「時を止めた」人たちだ。みんな針を進めたくないだけなんだろう。ぬいぐるみに囲まれた永遠のお嬢様も、盗んだ原付に跨る若き走り屋も、実のところおんなじ存在だ。
ヒーローも魔法少女も、ここには居ない。
僕も1Kのアパートに帰ろう。働いていないお母さんが、サンエーで買ったうどんでもあっためている時間だ。
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