海の向こうを一人で歩いていると、周囲からすれば風変わりな東洋人Aでしかないことが心地よい。どこへ行っても結局は都心から外れた観光スポットでもないのどかな街の飲み屋にて過ごす。

東洋の人間が一人で来るのが珍しいのでしょう。
ワケアリの物悲しさを背負っているように見えるのかもしれない。失恋や失業のような。周囲の人たちはつねに優しい。海外の人たちは「ひとりぼっちの人間」にとても優しい。「困ったことがあれば気軽に言いな!」とフランクに世話を焼いてくれる。これが複数人であれば、ただのカップルや観光客になって物珍しさも減る。一人というのが重要なのですね。

椅子に腰掛け、お酒を好きなだけ飲み、街と同化する。
海外では基本変な人に警戒すべきであるが、この状態の僕は「町外れで堂々と一人で酒を飲んでいる謎の東洋人」でしかなく、要するに僕も世界から見て十分に変なやつの枠に入っている。自分が変なやつになってしまえば相対的に変なことも起きない。穏やかな時間が続く。
純粋な沖縄人なので、僕は結構な量のお酒を飲む。
このペースに他人を巻き込む気もなく、かといって日本で一人飲みをする気もない。結果的に、海外の静かな飲み屋で妙なアジアの酒飲みとして、がぶがぶと数時間居座るのである。このひとときは非常に好きだ。
仮に、心から愛する恋人が居たとしても、十年来の付き合いのある親友と遊ぶとしても、結局他者が介在する以上は「社交」となる。社会と関わるってことがどうしてもイヤなんだな。そんな時間も大切にしても、それはそれとして独りで目的もなく日本語の聴こえない場所を自由に歩いていたい。
なので日本から遠く離れ、そして都心からも離れたお店で思うままアルコールを摂取する、現実との接続をすべて排した時間が愛おしくて堪らないのですね。

せっかくなのでお勧めのお酒を持ってきてもらう。
なんなのか全然わからないものがきた。ワインがどうたららしい。色がかっこいいぜ。外では団体客がわいわいと談笑。その様子を眺めながら、ぼけっとしつつ気まぐれに本でも読んだり、暇潰しに話しかけてくる店員に町の面白話を聞いたりしたりする。わたしも異国人ね。

すっかり夜。
店内にも僕しか居なくなった。たくさん飲んだ。店じまいまで居ちゃった。
ぜんぜん知らない街の夜をふらふらと行く。

市街地の景色って日本でもこんな感じだなあ。
ぽつりぽつりと帰宅する人々が通りかかり、一日の終わりを感じさせます。

閉店後のお店のライトが道路を照らす。
青白い。いや、このお店はまだ開いているのかな?

広場の感じ。
「石」って強いな。何百年もがっしりとそびえて街並みを形成しているんだな。

公園では、親子がラジコンカーに興じていた。僕も混ぜてほしいぜ。

きっと昼間は騒がしい通りなのでしょう。

緑のネオンライトが怪しく光る。
この色の不気味さを気に入っている。

都心に近づくと路が騒がしい。
暮らしをエンジョイする人々からすれば、僕の方が変人だ。
ずっと名もない変なやつとして世界中をうろちょろとしていたい。
どこだっていい。ただの風変わりな東洋人Aであれるなら、どこでもいい。
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