マイクラのNPCにAIで人格と役割を与える研究にて、AI住民たちがみるみる人間社会を形成していく様子を見て、これはもう数年後にはAIがごっそりすべてを覆っている可能性もあり得ると直感。ひょっとすると僕らも元から意思をあて与えられたゲームの駒に過ぎないのかもしれません。マイクラNPC視点では操作プレイヤーは上位存在の神ですから。
科学の発展により人は家電・三種の神器の無い世界には戻れなくなり、次はインターネット、今ではスマホがなくなると発狂するように。次世代はAIの力無しでは生活できない時代がやってくる。となると、その頃にはイラスト、テキスト、音楽、動画……それらすべてを高精度にAIでポンと出力されるようになる。今は血の通わぬAIに人間の感情を揺さぶる芸術性は理解できなくとも、いずれは高度な演算によって次々とAI製「人間が欲する芸術品」が高速に生み出されていくでしょう。
そうなったら人間はどうするべきか。『攻殻機動隊』では、自身に囁くゴースト、直感、要するに感性だけが自我を証明すると描いた。イノセンスでは生物と引きこもり。要するに犬と穏やかに暮らしていればいいと。なんにせよ「感性」こそが人間たらしめるわけです。
とはいえ、誰もが感性に従い生きているわけでもない。大半は社会に呑まれるようにAIの利便性、人工的な計算された刺激に流されるまま生きるはずだ。「総合芸術」すらもAIに奪われたなら、もはや人はやる事がない。しかし、「無かった時代」に戻れない!
それでも人間として生きたいと貫く者は、ゴッホに近づくしかない。

部屋に2枚、ゴッホの複製絵を飾っている。油絵特有の絵の具の重なりも再現され、立体的で素晴らしい。こちらは『夜のカフェテラス』。この夜こそ誰もが欲しいと願う光に溢れている。
新時代の芸術家は、ただただキャンバスに向かって物理で筆を動かす。油絵を。誰かのためでなく、「色」の意味がわかるたびに自身の魂もまた色彩に溢れると信じて。ゴッホと同じく、たとえ価値がつかなくとも、塗る。

2枚目。ローヌ川。こちらの星月夜のほうが、まだ「人間の域の青」で好きなんです。アムステルダムの美術館で変遷を見てきましたが、後年のゴッホは精神が完全に「美」に持っていかれ、『知名度が高い方の『星月夜』は人間の物で無いと感じる。ギリギリまだ人間であろうとしている空の『ローヌ川の星月夜』を気に入った!
モネがひたすら睡蓮だけを描き続け、本来ヒトの届かぬ何かに達しようとしたことと同じく、未来の芸術家は人間を越えたAIを越えた、さらに先にある「神」の領域に達するかが生きる目的となる。半端な創作物はAIによって価値と意味が呑まれてしまうから。
そうでなければ、機械的な快楽と快適さを享受する日々をおくるだけ。そんなことはごめんだ。人間の形を失ってもいい。ただ自分の感性に従い色を塗る。誰に認めてもらえずとも。

この重なった色の凹凸が、そこに一人の芸術家が生きた証となる。根源的な美的感覚だけが人間の証明。シックスセンス。神への挑戦だけが生き甲斐であり、価値。
哲学的ゾンビかゴッホか。人は自身の耳を切り落としてまでキャンバスの狂気に向き合えるでしょうか。
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