※本記事は2024年12月2日に投稿された記事の再投稿です。
セレス・ファウナは、とても聡明で知識と気品に溢れ、尊敬に値する女性でした。

コーヒーvs紅茶派でディベートを行った際、彼女は真正面から紅茶の素晴らしさを「アミノ酸テアニン」の効能を中心に長々と語り、コーヒー派から「話が先生のように呆れる」と野次を飛ばされた際に「もう出ていく!」と敢えて面倒な先生役を演じることで笑いを起こした。
自らのキャラクター性、また食事や医学に関する本物の愛を活かし、「エンタメの場で大真面目に本気のディベートをする」ことが、自身の役割かつ最も笑いに繋がると理解した、非常に知的な一手であった。


論文かのようにスラスラと語られていくアミノ酸の効能、まったく興味がなく怠くて目を閉じはじめるコーヒー派のビブー。これをギャグとして成立させられるバランス感覚と頭の良さはファウナの唯一性でしょう。「このように紅茶派の話は眠くなるからコーヒーを飲もう」とオチがついてコーヒー側の返しも鋭い。
本場のディベートの面白さを知ったのは、この演説での高度さから。そして、僕がENの文化圏を追おうと決めたきっかけの一つも、そんな彼女のあまりに気高く優しいエピソードからでした。
彼女は家族全員ヴィーガンです。日本の配信者でヴィーガンを公言することはほぼ無く(あまり言わないが実はぐらも)、宮沢賢治や庵野秀明、瀬戸口廉也などの「肉を食べない作家」を好んで追っていた僕は、本場のヴィーガンの考え方に強い興味がありました。僕自身、生まれつき嗅覚がなく、食事自体に意味を感じていなかったこともあり。
おそらく、彼女が紅茶派として熱く語るほど食事に関心があるのも、ヴィーガンと関係があるのかもしれません。

ファウナは数年単位で肉を食べて無さすぎて、もはや「肉の味」を忘れるほどでした。そんなある日、店員さんが野菜餃子と間違えて豚肉餃子を出してしまいます。肉を久々に食べたファウナ一家は瞬時に判断できず、「美味しい!」と喜んで食べてしまったのです!
そんなエピソードに対し、「正直、美味しいと思ってしまった」と包み隠さずに語り、「わたしたちは肉の味が嫌いで食べないわけではない」と続ける彼女の誇り高い姿を見て、日本にはない文化の気高さをもっと知りたいと直感。
「とても悲しい気持ちになりました。豚が好き。キスしたいくらい好き」とも話す彼女の表情から、家族でヴィーガンを生きることの意思と意味が伝わってくる。生き方に反してでも、動物を、自然を、食事を愛しているからこそ「正直、美味しかった」ことを明言してくれている。
こんな道徳の教科書に載せて然るべき話を配信でさらっと話す姿勢にたいへん感銘を受けた。彼女のおかげで宮沢賢治の心情へ、少し近づけた気がして。

そんなセレス・ファウナが卒業する。聡明な彼女のことですから、考えに考え抜いた末の決断でしょう。もう透き通る緑と誰より優しい声が聴けないことは悲しいけれど、気の迷いや感情的な喧嘩でないことは分かる。だからこそ悲しいが。
のち、手術して嗅覚を手に入れ初めて「動物の匂い」を意識しながら肉を食べた際、脳裏をよぎったのは彼女のこの話だった。強烈な豚の匂いは「生き物を食べている」残酷さを物語り、「だからこそ美味しい」ことを噛み締め、僕はようやく真の意味で「いただきます」と言えたのです。
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