
Steamのストアページのオープン準備を行っている。今年中に、となるともう半月くらいしか余裕がないためスタッフ一同てんやわんやです。それがまた嫌じゃない忙しさで。結局、タイムリミットが近ければ近いほど生産量は加速し、少しずつ確実に作品が出来上がっていく高揚感と締め切りギリギリの緊張感と相まってアドレナリンが爆発する。
友人がSteamストアページの審査やら画像の切り出しやらで右往左往。こちらもテキストを用意し、どうすれば一目でお久しぶり絵を最も目を引く演出ができるか試行錯誤。でも、やっぱり嫌な時間じゃない。楽しいよ。
本当に楽しい。
僕の書いた文章へ、お久しぶりさんの絵が載り、Aiobahnの曲がかかり、友人がプログラミングで一纏めにする。なんと贅沢な瞬間であろうか。そうした幸福をひたすらに繰り返しているうちに、きっとゲームとなって世に放たれる。
発表したら、後は作るしかない。
様々な不安と万能感に包まれる。今回は特に自分たちだけで、妙な言い方をすると身内だけで、超絶インディーな規模で製作しており、そんな少数精鋭でなんだかんだ日中英と世界中に向けて、放つ。0から1。積んだものはすべて強奪され、再び1を目指し、復讐の桜は真冬に花開く。
ここからは、僕らだけで続けていく領域だ。
すごいことだよ。自分たちで会社を作って、お金を出して、どうにかこうにか苦しい中でもカタカタカタカタと。
もう少し自分に優しくしてあげたい。
僕は今年で相当に精神がボロボロとなり、よくもまあこうして生きて活動しているよと、たまに振り返っては己に驚くほどである。本当に、よく生きたなあ。英語を学んだり、アニメで倒れないため週3ジム通いもまだ続けている。奪われないため、尊厳のため。これ以上、この世界の醜き者どもが魂を踏みにじり強奪しようとも、これは己が美意識の賜物であって、お前らごときが触っていいものでないと、自らの足跡で証明するための。
詩を持たない人間がいっそう憎らしくなった。
詩を持たない人間はお金と立場にしがみつく他なく、理解ができぬゆえに平気で他人の詩情を蹂躙する。なんとも不快な蛆虫で、このようなものが、まるで「自分は悪くないですよ」「社会とはこんなものですよ」と言わんばかりに責任転嫁してのうのうと生活する世界へ抵抗するため、それがロックンロール、あるいはサブカルチャーであるのだと信じて。
ビジュアルノベルは、その最たるものだ。絵と音楽と文章。それらすべてをクリックひとつひとつで僅かでも効果的に魅せるための演出。総合芸術の一種である。オタクたちが、キャラクターを、物語(ロマン)を腐りきった世の中へ届けるために、ともに鬱々とした暗い部屋を生きる石の下の仲間たちに贈る、歪なラブ・ソング。醜き者どもには届かない。あいつらは文字が読めないし、画面から伝わる熱量も寂寥感も解説されなければ届かない。美術がないのだ。現代でノベルゲームへついてこれるほどの能力なんてないね。
だから安心している。だから僕はいま採算度外視でノベルゲームを創るべきである。
本当に気持ちが悪いよな。
ぶくぶくと欲望で太った豚たちの世界に居たって仕方がない。青白く光るモニターの先で文字に酔う。こんなキショい現実を直視せずに済むための合法ドラッグだよ。

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