※数年前に同人誌で書いたものを掲載しています。
美少女ゲームをプレイするということは、「少女」と向き合うことです。

美少女ゲームには、多種多様な少女たちが存在します。存在自体が世界と接続されている少女も居れば、現実に居場所がなくて深夜の街を徘徊する少女も居る。僕らは、物語を通して少女たちの感性を垣間見る。キラキラと輝く思春期の感受性を浴び、その繊細な感情の機微に涙を流すのだ。

『天使のいない12月』は、現代を生きる少女たちの、純粋すぎるがゆえの痛みを描いた作品。本作のヒロインたちは、異性との肉体関係を精神の拠り所にしたり、感情が抑えきれずリストカットしたり、世界に関心が持てず屋上から飛び降りようとしたり、援助交際や浮気もある……。現実から逃避して「少女」へ夢見ていたオタクたちに、少女たちの現実を突きつける。
真に「少女」と向き合うのであれば、彼女たちの真実に触れる必要がある。自分は『承認欲求女子図鑑』なるインタビュー本を出しました。「裏垢・クスリ・パパ活 SNS世代の女子たちの心の闇を覗き見る」といった内容として売り出された本書では、その過程で何人もの女性たちへの取材を重ね、できるかぎりのリアルへ近づこうとした。そして、この本で得た知見を活かし、『NEEDY GIRL OVERDOSE』という作品を作った。そうすることで自分が信仰する「少女」をリアルに描きたかったのです。
もちろん、美少女ゲームには色んな側面がある。それこそ、繊細なオタクたちも優しい少女たちに癒やされる面もあれば、複雑な物語を紐解いていくために少女の内面に切り込むことが目的な場合もあります。それぞれに違った長所と短所があり、それが混合している作品だって少なくない。

僕が美少女ゲームで最も惹かれた要素は、「思春期の少女たちによる研ぎ澄まされたピュアな感性」でした。人は、生まれ持った純粋な感受性を、大人になるにつれて社会性の代わりに削り続けていく。そんな感受性の感度が子供と大人の狭間でなにより輝く瞬間、それが見たい……!!!
そんな欲望に気づかせてくれたのが『天使のいない12月』という作品です。主人公まで含め、アニメのように愉快なだけではない、年頃の男女たちが描く抜き身のナイフのような感情のぶつかり合い。大人に近づくほんの僅かな期間だけに魅せる煌めき。そんな輝かしいものを複数のヒロインたちによって追体験できる。こんな贅沢なことがあって良いのでしょうか。
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