僕の鼻の病気について一気に書く

僕の鼻の病気について一気に書く

書いた人 : nyalra nyalra


 この記事は、2023年末ににゃるらが嗅覚を取り戻すべく、鼻の手術を行った際の一覧の記事をまとめたものです。

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 嗅覚を取り戻すため、東京の大きな病院に通っていましたが今回もダメでした。

 「街の耳鼻科→東京のでかい病院の耳鼻科→東京のでかい病院の耳鼻科の強い医者→東京のでかい病院の形成外科」と紹介状に沿って通院していたのですがやはり難しいようで、次は耳鼻科がめちゃくちゃ強い東京のでかい病院の紹介状を頂いたので、今度はそちらへ向かってみます。

 さて、何度か小出しで自身の生来の病気や変遷について書いてきましたが、遡ったりするのも面倒でしょうし、誰かに訊かれた際に説明し易いようにまとめてみます。


 まず、僕はそもそも嗅覚がない状態で誕生したのですが、それは感覚でなく物理的な問題です。なぜか生まれた時から鼻の奥の骨が異様に狭くほぼ塞がっており、鼻から酸素が奥へと運ばれないのです。

  


 つまり、鼻呼吸ができないし骨で遮断されるので匂いも感知しないのですね。運ばれる酸素量が少なく口呼吸を強いられるため、自動的に口内環境と視力の悪化(鼻と連動している)、呼吸の浅さによる不眠も伴ってきました。最近まで保険証がなかったものの(理由は後述)、今はどうにかなったので口内環境や歯列は検査や矯正、視力はICL手術で無事に回復しつつあります。不眠については睡眠薬頼りです。呼吸の浅さだけは鼻が治らないかぎり根本的な解決になりません。


 なので、子供の頃から入院と手術を繰り返しており、毎年手術のため二ヶ月ほど入院していました。鼻の奥の骨を広げようと管を通したり、喉ちんこを切断して口内からアプローチをしたり。しかし、それらは子供の身体には危険度が高く、失敗すると鼻の骨が広がり過ぎて何を喋っているのかわからなくなるため、小3の時に「成人してからにしよう」と医者と母親は諦めた。小学生にとって二ヶ月も学校に行かない状態が毎年あるのは酷だと思われ、実際そのせいで僕は教室に馴染めず引きこもりがち、母親も母子家庭かつ病気持ちである僕へと気を使い、登校しなくとも叱ることはありませんでした。代わりに本とゲームを与えてくれたし、さらに自閉症(この頃には診断されてはいなかった)だった僕にとって、好きなだけ家で遊べる環境はむしろありがたかった。歯の矯正はしてもらいたかったけれど、母子家庭ゆえにお金がないのでそこまでは言い出せませんでしたが、もはや些細なことです。


 18になり、母親の再婚相手である義父とまったく馬が合わず(思えばそれも思春期ゆえの暴走でしたが)、大学中退などを機に絶縁状態となったので、上京してフォロワーとルームシェアをする形になりました。扶養からも切られてしまったし、プライドとして僕も義父と母には一生頼らないと頑なになっていたので、いつのまにか保険証は失効。お金も保険証もないので成人して鼻の手術をするまともな健康へのルートは砂の城のように崩れていく。


 保険証もないため正しく睡眠薬を処方されることもなく、ネットの通販で海外から怪しい薬を輸入することとなります。それらを乱用して大変だった時期を経て、その間ずっと文章をブログやnoteに投稿していたため、だんだんとお仕事がもらえるようになったものの、加減がわからず、また人間関係の圧力も恐ろしくて適応障害となり、統合失調症用の治療と薬が必要となりました。さすがに見兼ねた周辺人物たちのご厚意で役所、病院を駆け回ってもらい、どうにか保険証を手に入れ7年ぶりくらいに病院へ。ようやく精神科を受診して真っ当な処方薬と診断を得ます。そこで自閉症スペクトラムであることも知りました。それは自覚がありまくりだったので、今も昔も一切気にしておりません。


 どうにか精神も落ち着き、作りたいものに向き合うためゲームを企画・製作しました。完成後、初めてまとまったお金が入り、プロデューサーが保証人にもなってくれたこともあって、冒頭に書いた目の手術、歯の矯正、鼻の診療が可能に。それが一年前くらいの話ですね。それから、幾度か病院をたらい回しに。子供の頃、琉球大学病院に居たことはわかるものの、何科でなにをしていたのか不明であることも関係し、世にも珍しい僕の症状はなかなか手術へ踏み出せないようです。母親に連絡できないから、幼少期の僕がどのような治療を受けてどう診断されていたのかのデータももらえない。過去に事例がないうえで下手したら骨が広がり過ぎて僕がしゃべれなくなる危険は残っているので、耳鼻科も形成外科もできればOKしたくないのだ。


 というわけで、今回こそはいけるかな〜と思った新宿の大きな病院も不発の形に。次は新橋の病院へと回されます。たいへんだ。いつか嗅覚を手に入れることができたら、普通の人のように香りや食事を堪能してみたかったものですが、その日はまだまだ遠そうです。ポジティブに考えるため、「僕ならお風呂入ってない汗まみれのオタクでも抱きしめてやれるぜ」とツイートしたところ、その内容を見たオタク男性二人がコミケ時にハグを所望したので、やれやれと抱きしめてやった。夏コミなので本来汗臭さがヤバかったかもしれないが僕には関係ない。オタク二人は嬉しそうに帰っていったから、まあ誰かの役に立てたのなら一旦はこれでいいかな。


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 ※大きい病院での検査の結果、 便宜上は『先天性後鼻孔閉鎖症』と名前がつきました。要するに「生まれつき鼻の奥が塞がっていて鼻呼吸ができない、それに伴い嗅覚がない」。そして、手術が行われることが決まりました。




手術後と血


 予定通り、鼻の手術をしました。


 結果から述べると、嗅覚が取り戻せたかはまだ判明しません。が、少なくとも一旦鼻と口の間に大きな穴を開ける手術には成功しました。お医者さんがた、本当にありがとうございます。「可能性があるならここしかない」と紹介された通りの名医と病院でした。窓から東京タワーの内部が見えるので、こちらがベッドの上で狂い悶えている最中も展望台ではしゃいでいる楽しそう人たちが目に入ること以外は完璧です。


 さて、僕の障害はなぜか生まれつき鼻と口が繋がっておらず、そのため鼻から空気が通りません。普通は鼻と口を繋ぐ通路が存在しています。それを無理やり開通させるわけです。言葉だけでも痛そうですね。術後の今も死ぬほど痛いですよ。死ぬほど痛いぞ。

 鼻の中からも器具を入れるものの、細さ的に十分でないため、喉からも器具を挿入します。呼吸器の手術が大変と言われる理由は、おそらく切る箇所の難易度が複雑だからでしょう。僕も喉奥、口の天井のような箇所を切り開いてから縫われている。これがありえないほど痛いし、喋るたびに血を吐きだす。なので僕はしばらく言葉もままならない。こうして文を紡ぐことでしか皆さんと交流ができない。


 そんな苦労の末、名医の手によりみごと開通は成功したようで、子供の頃の度重なる手術失敗によりギチギチに硬くなっていた鼻奥の肉を切り裂き、鼻腔内の粘膜を掻き集めて再び塞がらぬようにガード、そのうえで数日鼻に管を挿す。

 起きてからはもう、鼻も口も24時間血まみれ。それだけ肉と骨を裂くのは人体に影響を及ぼすのだ。なにせ、今回僕はふさがっていた肉に人差し指2本分貫通させたのだから。唾を飲み込むたびにガラスを飲み込むような痛みが走るので、唾を溜めては洗面台に吐き捨てる。そこには大量の血が混じっており、シャワー室がみるみる血に染まっていく。


 血の処理と痛みで一日目は終わった。


 まずは、広がった穴を固定するためしばらく安静にする他ない。鼻奥は大量の出血で詰まっている。今のところ「匂い」を感じることも、その余裕もない。管が刺さっているしね。


 久々の全身麻酔はやはり心地よかった。マスクと静脈に直接麻酔が流され、気づけば強制的に眠りにつく。できれば僕はずっと眠っていたい。無理やりにでも眠らされてしまう、擬似的な死を体感するあの心地が小気味良い。麻酔係の女性が手を握ってくれて「こんなおばちゃんの手を握ってもねえ」と笑って和ませてくれる。そんなことはない。心の底から嬉しかったので「暖かいですよ」と返す。次第に意識が遠のく。これが本日、もしかしたら数日後までの僕が発した最後の言葉となる。朦朧する意識の中でなぜか手を握っているのは聖園ミカになっていた(たぶん直前にタイムラインとかで見たのだろう)。ミカに握られているなら大丈夫だなと思いつつ、「ブルアカやってないのに申し訳ないな……」とも感じた。イラストでしか知らない……。急に無関係なオタクの手を握らせてしまって申し訳ない。しかし、あなたの慈愛の表情は手術への恐怖など一瞬で忘れさせるほど綺麗に映った。


 手術直前とはいえ、考えることなんてそんなものである。きっと死ぬ時もそうなのだろう。どんな人生であれ、死ぬ直前に好きなキャラクターの幻覚が見えたら幸福でしょう。それでいいんだ。

 起きると激痛。痛みが手術の結果を物語る。


 喉奥が縫われているので言葉はでない。でも、執行医は僕の挑戦を褒め、今後の説明をしてくれる。「ありがとうございます」すら声に出ないし、下半身が固定されて動きも不自由。が、とにかくお礼を言いたい。脳内が感謝で溢れかえり、アドレナリンとなって痛みすら掻き消す。頭を下げるのもただの頷きと混同されるだろう。筆談の余裕もない。僕は半ば無意識に深く目を閉じ、両手を合わせて深くお辞儀をする。祈りのポーズである。僕の救世主となった先生に多くの幸が訪れることを願い、生まれて初めて尊敬する人間へと祈りを捧げたのです。


術後1日目 激しい痛み


 手術中は麻酔が効いているのだから、本当に痛みがやってくるのは術後だと覚悟はしていたものの、想像以上で長文を書く気力がなく日記も遅れました。今は鎮痛剤などで比較的落ち着いています。大丈夫。


 鼻と口蓋を大きく切ったのだから、もちろん大きく腫れている。鼻と口からは相変わらず出血が止まらず痛みを伴う。血が噴き出るため食事と発声が満足にできないのもなかなかに辛い。その上で体力を消耗したので当然38℃少しの発熱もある。あらゆるコンボによって身体にダメージが入りまくり、そりゃもう地獄の責苦である。

 とはいえ、合間合間にネットを開けなくはない。鎮痛剤が効いているタイミングもあるし、何よりこういう時は日常的な行為をおこなうことで精神を安定させるのも索でしょう。何事もなかったかのようにジャンプラを読んだり、友人たちとちょっとしたやり取りなどを行う。現実では声が出せない分、ネット上だとテキストでコミュニケーションができる事実はたいへんありがたいのです。


 今の僕の鼻には長い管が通っており、それが喉奥まで貫通している。そうすることで、開いた鼻の肉が塞がらなようにしているのですね。それも当然痛い。鼻から喉までを貫く管が24時間入っている時点で痛い、なんてみなさんにも想像がつくでしょう。その痛みですね。

 なんと、その上でこの管が外れたので入れ直すタイミングがあった。最初は全身麻酔時に挿入したため、起きたら刺さっていたので「挿れる」苦しみは味あわなかったのですが、管が鼻血でだんだんと滑り、少しずつ抜けてきた。仕方がないのでもう一回押し込まないといけないが、その場合は麻酔をしていない。ただただ「力」で鼻奥から喉まで貫通させる。椅子に縛りつけられ、先生が一思いに一気に貫く。悲しいことに喉が腫れているので叫び声も出ない。結果的にめっちゃ我慢強いやつみたいになった。これまでの人生で感じた痛みトップ5くらいに入ったんじゃないか。もう二度と外れないよう入念にテープで巻く。


 というわけで、術後一日目は痛みとの戦いで終わった。予想はしていたので問題ないですが。鼻の奥に詰め物があるらしく、匂いはそれを外すまで無理らしい。それどころじゃないので別にいいけれど。

 苦しい話ばかりを書いたので、手術での恩恵の話を書きましょう。


 当たり前ですが、今は鼻に刺さった管を通して空気を喉に送れます。つまり、鼻呼吸です! 生まれて初めて鼻で呼吸ができます。なんと口を長時間閉じることができるようになりました。まだあまり要領を掴めていないので長くはできませんが、これだけでも呼吸がとんでもなく楽になります。

 なんと鼻から呼吸ができると口が渇かずに喉が渇かないんです! 僕はこれまでずっと口呼吸だったので、口がすぐに乾くのでつねに水かお茶を飲み続けていました。何度か僕に会ったことある方なら、どんな時でも僕が水を片手にしていたことを覚えているのではないでしょうか。あれは人一倍喉が渇くからです。


 それが今はどうだ。まだ連続2分くらいですが、口を開けずに済むので口内が潤っている。なんとも快適であり、眠る時に何度も渇きに起こされて水を補給する必要も不快感もない。今は痛みのせいでそれどころではないが、もしこれが継続されたら僕の不満もだいぶ改善されることでしょう。これは嬉しいことです。

 が、この快適さも管を外したらだんだんと肉が閉まって失う可能性は高いのですけどね。一瞬だけ「鼻呼吸ができる健全な生活」を味わい、また口呼吸に戻る。今回の手術で鼻中の粘膜を使い切ったので二度と挑戦はできない。そして、鼻が再び閉じる可能性は非常に高い。


 一瞬だけ本来の生活を体験した後にすぐに障害者へ戻される。考えようによっては、最も残酷なことかもしれません。それは僕も流石に悲しいですが、まあどうしようもない。もしかすると僅かでも穴が開いて、元よりは多少マシになる可能性だってある。仕方がないことは考えない方がいい。

 とにかくしばらくはこの痛みと付き合うこととなる。僕は医療行為やジムのトレーニングなど、「自分にメリットのある痛み」は修行として心地よさすら感じる。この非日常的な苦しみは、日常へ戻った際のありがたみを一層感じさせるでしょう。どれだけいつもの日々が幸福であったことを知る。真に足るを知る瞬間は、こうして痛みと格闘している時にこそ理解するのでしょう。



術後2日目 恐らく痛みのピーク


 勝手に痛みのピークを手術翌日と思い込んでいたものの、今日の方がひどかった。

 切って腫れた口蓋から伝導して目と耳にも激痛が走る。さながら万力魔神バイサー・デスに頭部を締め付けられているような感覚。

 そのうえで、のたうち回ると鼻と口から血が飛び出るので、じっと仰向けで正面を向いてなければならない。口を切ったので嗚咽すらでない。ここまでやってなお、鼻の管を抜くとすぐに塞がる可能性があると考えると折れそうになるが、別に心が折れようとも耐えようとも、ただベッドで仰向けでいるしかないのは同じである。現実は無情です。


 なにより困るのは、何かを飲み込むと、まるでガラスが通ったかのように喉に激痛が起きることか。このせいで涎を飲み込むことすら覚悟が必要となる。または洗面台へ吐きに行く。当然、水や食事も命懸けで、ご飯は諦めて点滴での栄養補給となりました。発熱と空腹にも襲われるものの、もはや痛みのオンパレードすぎて、一つ二つ加わるのはあまり変わらない。

 なぜ自分がこのような責苦を受けるのか。それは、生まれた時に呼吸器が不完全であっただけに過ぎない。人間誰しも生まれた瞬間に身体的な長所・短所があるもので、僕は呼吸器の短所が顕著であっただけ。ただの確率の問題であって、それが極めて運の悪いハズレくじとしても引いたからには仕方ない。ここで他責なり自責なりに突っ込んだら余計に精神が荒れるので、思ったよりそのような惑いとは線引きをできる人間では良かったとここ数日でしみじみとします。


 腫れ自体は少し引いたようで、若干ながら声は出ます。今日は久々に看護師さんに髪を洗ってもらいました。「美容師みたいに上手く洗えなくてごめんね」と言われたので、「あ・り・が・と・う」とゆっくり伝えた。できれば「ありがとうございます」と敬語で礼を尽くしたかったですが、今の僕に10文字は多い。試行錯誤の末、感謝は「助かります」と発音するとスムーズであることがわかった。6文字ならどうにかなる。

 それにしたって、コミュニケーションができないことはかなり精神的に苦しい。伝えたいことが伝わらない、「会話」ができない。これはとても悲しい。こうして日記をしたためることで誰かが読んでくれることが救いか。別に誰も来る予定もないけれど、もし僕にお見舞いをしに来てくれる方が居たとしても、話すことができないうえに血まみれで見苦しい姿を晒すことになるのだから遠慮するでしょう。今は看護師さんが点滴を代えてくれたり、鎮痛剤を持ってきてくれる一瞬のやり取りが嬉しい。


 苦しければ苦しいぶん、鎮痛剤が効いてきてからの微睡みは最高だ。あれだけ頭部を蝕んだ痛みが消え去るばかりか、眠気まで自動でやってくる。痛みが薄れていく感覚とともに意識も薄れる。激痛のピーク時に点滴で静脈へ直接鎮痛剤を流してもらった時は、驚くほどの速さで効果が現れて気持ちよかった。痛みと解放、極限まで抽象化すれば生きていくうえでの現象はこの二つしかないのかもしれない。



 ここまできたら退院時はものすごい解放感へ包まれているのだろう。鼻の管が外れ、口も自由に動くし、少なくともしばらくは嗅覚を堪能できる可能性がある。今は鼻呼吸のおかげで口内がつねに渇かず潤う恩恵を実感している。代わりに溜まった涎を飲み込むタイミングに苦労しているが(鎮痛剤のない時だと痛いし)、こういうことを少しずつ覚えていくのが現状の楽しみの一つです。

 その分、また失ってしまう時のことを考えますが、「激痛に耐えた末、一瞬だけ鼻呼吸ができた上でまた奪われる」ほどの苦しみを味わい、それすらも割り切って解放された時、どれほど気持ちがいいかを考えると必要な儀式であるのでしょう。



術後3日目 生命力


 岩明均先生が『寄生獣』最終巻のあとがきを、自身が誤って切った親指が再生していく生命力についての内容で締めたことがずっと印象に残っている。生命というものはそれだけ不可思議で魅力的なのだ。

 手術後3日目になりました。

 昨晩の痛みが激しすぎてピークだと直感していた通りで、さすがに快方へ向かってきた。39℃近くあった熱は37℃台へ、一日中止まらなかった鼻血もだいぶおさまり、切った喉の腫れも引き始めて一文くらいは喋れるようになりました。それでも片鼻に管は刺さりっぱなしですが。

 頭の内部を、顔面の中心を奥から弄ったというのに、人体はそれすら数日で再生していく。間違いなく生命のパワーです。いま僕の身体は全身から「生」を望んでおり、鼻呼吸という新たな習慣を取り入れつつある。


 鼻呼吸について僕はまだ赤子も同然。身体の機能として備わって3日。唾を飲み込むタイミングも、数分鼻だけで呼吸する方法もわからない。しかし、少しずつ、少しずつ、口から鼻への呼吸へ切り替わっていくことを実感する。睡眠中に口が開かず喉が渇かない。スムーズに肺へ酸素が行き渡り中途覚醒を起こさない。なんと便利な呼吸法なんだ。中途覚醒しない、は嘘だ。今はさすがに熱や痛みで起きてしまうが。ゆくゆくはそれも遠い過去となる。正しい呼吸を学習していくことでしょう。できれば、こんな穏やかな身体機能を失いたくないものですが。

 逆に、僕はこの生命力に困らされているのだ。

 何故なら僕の障害の根本は、鼻奥と喉を肉が塞いでいることにあり、その肉は幼い頃に手術で切除されるたびに、カチカチに膨らんで再生していった。おかげで幼少期の僕は鼻呼吸が手に入らないまま入退院を繰り返し、小学校低学年の思い出をベッドの上でゲームボーイカラーと格闘した記憶で埋めることとなる。みなさんが学校で机に向かっている間も、僕は一人で『ワリオランド3 不思議なオルゴール』を延々と繰り返していた! それは結構楽しかったんですけど。


 お節介な僕の鼻中の肉は、いま喉奥まで貫通している憎き薄緑の管を外してしまうと、いずれは再生していくのだろう。先生は粘膜で壁を作ってみたと言ってはいたが、おそらく生命力の方が勝つ。僕の鼻はなぜか「喉との通路を塞ぐ」ことが自然と勘違いして、一生懸命に肉を膨張させるだろう。今まさに切開した鼻奥や口蓋の腫れがみるみる引いていくように。術後の自分が日に日に回復していくに連れ、人間の生命力の強さを実感し、再び鼻奥が締まる予感を覚える。


 いったいどうしてなんだ。

 鼻と喉が繋がっていた方が明らかに生活が楽になるだろう。それなのに、なんで僕の細胞はわざわざ気道を塞いで不健康を促進する。無能な働き者そのものだ。良かれと思って再生するのだ。肉体の持ち主である僕の身体を維持するためと勘違いして働き続けるのだ。

 憎みきれないでしょう。こいつらは僕のために、いやもっと単純に「自分たちが生きるために」鼻奥を塞ぐんだ。たとえそれが健常な生活を阻むとしても関係がない。生命だから。そこには善意も悪意もない。ただ一般的な人体から見ればバグってしまっているだけで。


 いま僕は週3のトレーニングで自ら人体を破壊している。不必要に重りを持ち上げ、悲鳴をあげる筋肉を痛めつけ、壊しきったところにタンパク質を流してより強固に再生させている。おかげで今は胸が膨らみ、腹が割れた。今回の手術での体力勝負にも大いに貢献してくれたことでしょう。つまり生命力に頼っている。自ら意図して破壊し再生することすらしているのだから、僕には僕の目的、生命には生命の目的があり、悲しいことに鼻中においてはそれらが一致しなかった。そういうこともある。

 さて、そろそろ院内に居ながら仕事をするようになってきました。いつまでものんびりしていると退院後に追い込まれる。超てんちゃんというキャラクターへ命を吹き込み、これからに向けて新たなストーリーと人物たちへも命を植える準備を行う。先生に頼み込んで退院日は木曜日となった。もう鼻の管さえ抜けば、あとは「異様に鼻血が出る人」でしかない。会話を一文ずつ喋ればどうにかなる。いつまでも病室で人々の優しさに甘えているわけにもいかない。というか入院費用は一日分ですら高すぎる!


 そんなわけで、僕が嗅覚を取り戻せるかどうかは、木曜朝に管を抜いてからわかる……はず。それから閉じるかどうかもわかる……かもしれない。すべては謎に包まれている。生命だから。生命力がどんな未来を引き寄せるかなんて、人間サマ程度には分かりはしないんだ。僕の肉は肉で独立して生きている。こいつらが生きたいと願ってしまったなら、その不器用なバカたちまでひっくるめて自分だと背負って生きていくだけです。



術後4日目 99年7月の想い出


 術後4日目。

 全体的に回復しつつあるものの、微熱と出血は多少残っており、なによりずっと左鼻に管が刺さっている圧迫感からか左耳に激痛が走るようになった。特に涎を飲み込むと痛い!

 が、問題点としてはそれくらいで他は順調といったところでしょうか。新たなトラブルとして、今の僕は液体を飲むとすぐに鼻から出る。どうやら喉と鼻が開通したことで逆流しているらしい。しかし、普通の人も条件は同じなのになぜみんなはめったに逆流しないのかと先生に尋ねたところ、「普通は何度も飲食を経験していくうちに喉の筋肉の使い方を覚えて無意識に逆流しないように働きかけている」らしい! すごいね、人体。恐らくこの過程を赤子の頃にみな経験済みなのだ。僕は今が初体験となる。どうすればいいんだ。


 現状の問題は「圧迫感で耳の痛みが激しい」「飲食のたびに鼻へ逆流する」の二つのみ。前者は鎮痛剤と根気、後者は飲み込む際に天を仰ぐように上を向くことで解決する他ない。今も鎮痛剤を服用してなお、耳の痛みに困らされて眠れませんが、一日目・二日目のピーク時に比べればマシではあります。

 なので、入院生活において今日は特筆すべき点もない。敢えていうなら時間が余っているので漫画をたくさん読めて楽しいことくらいか。猿渡哲也先生の新刊『エイハブ』、とんでもない名作でした。先生の画力と宗教観の融合が堪らない。ここまで暴力に神々しさすら付与できる絵の巧さを持つ作家もなかなか居ない。

 面白かった作品の話は退院後にでも書くとして、せっかく入院中ですから、昔の病院での想い出話でも置いていきましょう。


 幼少期も同様に鼻の手術で何度も入院していたわけですが、特に忘れられない入院時期がある。時は世紀末。1999年の7月。恐怖の大王がやってきて世界を滅ぼすとノストラダムスの予言の日となったその月、まだ5歳程度だった僕は病室で一人であった。


 99年。世はオカルトブームの真っ最中であり、テレビも雑誌もホラーにオカルト、終末論。世界の崩壊なんて信じてなくとも、誰もがうっすら「99〜00年にかけて大きな変化が訪れるであろう」と予感していた。2000年問題がどうなどとも騒がれていたことも覚えています。2000年問題より自分の夢。

 病室なんて暇すぎてテレビを観る他ない。今なら子供でもスマホで好きな動画やゲームを再生していればいいけれども、当時の娯楽は部屋に備え付けられたブラウン管テレビ、持ち込んだゲームボーイカラー、漫画くらいである。結果的に多くの時間をテレビに費やすこととなる。


 当然、ブーム真っ盛りなテレビ局が「恐怖の大王アンゴルモア」を特集しないわけがなく、どのチャンネルでも終末がどう、宇宙人がどう、そりゃもう言うだけタダな番組側は煽る煽る。子供なりに情報を取捨選択していくが、ここまで言われると99年7月になった瞬間、宇宙から飛来した巨大UFOから降り立つ恐怖の大王が世界を崩壊させると半ば信じ込んでしまう。

 これが自宅で家族や好きなおもちゃに囲まれてならともかく、当時の僕は就寝時は母親も帰り、夜の病室に独り。ただでさえ子供が病院にぽつんと置かれるだけで不安なのに、周囲は終末の話しかしない。夜21時、部屋と廊下が消灯する。灯はナースステーションかトイレのぼおっとした照明のみとなる。心細くてカーテンを開いてみるも、病室から見える青白い中庭や向かい側の病棟の機械的な光は、むしろホラーなシチュエーションの定番そのものだ。さっとカーテンを閉める。


 それはもう、本当に長い夜であった。さすがに記憶が定かではありませんが、1.2時間くらい「寝たら恐怖の大王のUFOが病院を押し潰しているのではないか」という妄想に取り憑かれ、5歳児にしてせん妄パニックである。

 ここで考えるのは、「大人はどれだけ本気にしているか」だ。テレビの奴らはああは言っても、母親は特に何もなく帰宅したし、ナースステーションには恐らく見慣れた看護師たちが変わらず作業をしている。つまり、一般的な大人の人々にとっては「テレビのウソ」である筈。あんなものは毒電波だ!真実は何もなく日常が続く!……のだろうか? こういう場合、「大人が呑気にバカにしていること」が本当である方がドラマの定番である。裏の裏まで想像し、あらゆる可能性をシミュレーションする。よくよく考えると、僕個人が寝てようが起きていようが、宇宙の大王が来るか来ないかとは無関係なのに……。


 そうこうしているうちに何だかんだで眠りにつき、翌日は変わらず面会の母親も看護師もやってくる。何もなかった。何もなかったけれども、それゆえのガッカリ感もあるし、あの「99年7月に子供が病室に一人」という事実は永久に忘れられず、そして二度と味わえない恐怖である。

 思えば僕がホラーがどう、オカルトといまだに強く囚われているのは、あの一夜のパニックによって毒電波にあてられたからじゃないか。もしかしたら僕の個室にだけアンゴルモアはやってきたのかもしれない。ひょっとすると今夜も……。こうして夜の病院に居るとあの夜を思い出す。



術後5日目 退院前夜と声


 術後5日目。

 明日の朝、ついに鼻の管を抜く。手術当日から考えると約1週間も片鼻から喉まで管がぶっささり顔面を圧迫していたのだ。しかも血がダラダラと噴き出し続ける。鼻奥に刺さる管は耳と目のスペースすら押し出し、充血と中耳炎をももたらせた。その弊害か5日目になってなお38℃以上の高熱にうなされました。ヘルプ!

 とはいえ、これももう朝までの辛抱。これ以上は家に居たって変わらないのだから、管さえ抜いて鼻奥の詰め物も外せば、あとは自宅で療養となる。退院直後から仕事は溢れているものの、まあやっていくしかない。


 喉の腫れに関しては殆ど引いたものの、単純に管が刺さって上手く声が出せない。ただ発音時の出血は治ったので、もしかしたら管さえ外れたら流暢に会話できる可能性が無きにしも非ず。1週間もまともな会話をしてなかったから、そもそも声が出るか不安だぜ。

 そう、声です。聲(こえ)。

 嗅覚を手に入れるかどうかもありますが、声の変化も重要。そりゃまあ謂わば鼻の内部を作り変えたようなものなのだから、当然声だって大きく変わっているはずだ。今まで手術痕が腫れていたうえに管が刺さって喋れなかったけれど。それでも少しずつ喋っている感覚からして、明らかに声が高くなっている。そしてこれまた当たり前ですが鼻声でなくなります。すぐ塞がるから一時の夢かもしれませんが。

 声変わり以外で、人生の途中で大きく声が変化することなんてそうそう無い。急な僕の声優変更で荒れるかもしれぬ。それは冗談としても、通話などで打ち合わせする際に、相手が僕だと一致できるのだろうか。そもそも自分は自分の声の変化にいつ慣れるのか。


 そりゃ詰まっているどころか骨格レベルで塞がっていたのだから、今までの僕は鼻声の体現者であった。子供の頃は当然弄られることも多く、ネットでも言及されたことも少なくない。主観では鼻声しか出せないのだから実は違いがわかっていない。僕は他人に対して「鼻声だな」と認識したことがない。自分がそれしか出せないのだから「健常」と「鼻声」の違いがわからないのです。コンプレックスという領域以前に、自分と他人との差異がわからない。ただ、他人の耳から聴けば僕の声が聴き取りづらいことは分かる。自分でも「恐らく鼻が通ってないせいで言いづらい音」があるのも経験上では分かっている。「な」と「ら」の違いを僕は表現できない。脳内では正しく出力しているつもりでも。

 そんなんなので、不登校寄りの学生生活のなかでも特に『音楽』の授業は即サボっていた。必然的に音痴で足を引っ張ることとなる僕にとって、音楽の授業は地獄でしかない。なので、例え学校へ登校していたとて音楽の授業で教室を移動するタイミングで逃げたりした。幸い、中学からは美術との選択制で、工業高校に至っては音楽自体が無かった。


 もちろん音楽を聴くこと自体は好きだ。しかし、自分が歌ったり関わったりすることはないだろう……カラオケとも無縁。そもそも僕が最も再生しているアーティストは、去年も今年も、だいぶ前から『クラフトワーク』『YMO』『ZUN』、またはその関係者で埋まっている。今年もこの3つが上位であった。ボーカルよりインスト派、というかテクノなだけで、全然ボーカル曲も聴きますけどね。

 そんな自分が拙作のゲームを出すのだから主題歌の作詞をしなければと思い立ち、紆余曲折を経てAiobahnの曲を現在4曲も作詞してきた。そのうち2つは何千万回も再生されることとなる。今や自作と無関係なところでも作詞依頼がくるようになった。これも来年のどこかで発表される。

 まさか、僕の人生でこんなに音楽の創作と密接に関わるとは思っても居なかった。授業を一切受けていないので、音程とか音階がどうと未だに一ミリも理解していない。僕はただ、贈られてきた素敵なインストたちに文を添えるのみである。独学どころか自分でも学んですらいない。ノウハウがなく無我夢中であったので、KOTOKOさんの二曲は熱意以外の何者でもない。作詞においてのスキルやテクは何も意識しておらず、どちらかと言えば「詩」を書いた。


 そんなこんでも友人の曲を作詞して多くの方に聴いてもらえた事実から、音楽活動への苦手意識がだいぶ緩和されました。Aiobahnに感謝だね。よくまあ、あんなぶっ飛んだ難解なインストを毎回送ってくるな……とも思っていますが。それが彼の才能そのものです。

 鼻声が解消されたら、ボイトレに通ってあの日逃げてきた分の音楽授業を受けてみるのもいいかもしれません。

 というか、実は一度受けに行った。鼻声のままでもある程度滑舌が良くなるか試したかったのだ。音楽教室の先生は大変やさしく、事情を聞いて基礎の基礎から教えてくれた。「実際どれくらい聴き取りづらいですかね?」と訊くと、なんと先生は「鼻声はあんまり関係なく人の目を見ながら話してないから聴きづらいよ」と指摘してくださった。そう、あまりに発音に自信がない僕はコミュケーション時に目が泳ぐ。会話とも関係なく、ただただ自閉症の顕著な症状として他人と目を合わせない。そのせいで声が地面に沈んでいたのだ! 要するに僕は鼻声である以上に根の暗さでモゴモゴ喋り続けていたのです。


 これには目から鱗。根本的な部分からズレている。あの時は体験授業で帰りましたが、鼻呼吸を会得するであろう明日から再挑戦してみたい。いずれ、他人と目を合わせながら流暢に会話できるようになった自分を想像して……。



嗅覚検査の結果と退院


 人生が苦痛と解放の連続でしかないなら、ようやく解放の時が来た。1週間、僕の鼻から喉奥を貫通し、そればかりか眼球や耳まで圧迫、まともに喋れない上で高熱まで発生させたチューブを外すこととなりました。

 こんな長いものが鼻から喉にかけて1週間突き刺さっていた。そりゃ目も充血するし、中耳炎にもなって38℃以上の熱をつねに与えるわ。普通に生きていてこんな長い管が頭部の中心を圧迫しないんだもの。1週間こいつとともに過ごしたうえでの孤独。耐えた。耐えたなあ……。もはや元の目的すら忘れてしまう程の爽快感で今すぐにでも跳ね回りたい。

 その前に、管のさらに奥にあったガーゼの詰め物も外してもらう。このガーゼが傷口を塞いでいたおかげで手術跡が痛まない代わりに気道も締め出していた。ので、鼻からの呼吸は肺に送られても、鼻より上側、つまりは嗅覚のある部分へ空気を運ばなかったのですね。それが今や全てを解除してもらえた。ありがたい。


 第一の感想として、痛い。

 痛すぎる。鼻から風が入り込むたびに鼻奥の腫れを刺激してダメージを受ける。世界ってこんなに空気で溢れていたのかと驚く。痛い。痛いけれども、すごい。未知の感覚。口を閉めてぼけっとしていても勝手に鼻から空気が入って呼吸ができる。しかも、今は手術跡が痛むとは言え風通しの良さ自体は心地いいのです。

 みんな、こんなに「空気」の気持ちよさを感じながら生きていたのか。もはや日常すぎて、風が鼻を通る解放感を意識しなくなったのか。とにもかくにも、こうして僕の鼻と喉はつながった。正直、来月には塞がっていてもおかしくはない。けれども少なくともこの瞬間においては(腫れていて痛い以外は)健常なのです。

 まだまだ日常では両鼻に綿球を入れて置かねばならない。無理やり開けた穴が塞がらぬよう鼻中の粘膜を壁に使ったため、いま僕の鼻の中はノーガードで何でも傷になる。つねに保湿しておかねばすぐにでも病気へ発展するだろう。なので、しばらくは塩水で掃除後に綿を詰めて保湿する。結局、日常で鼻呼吸はまだできない。とほほ。


 それはそれとして、嗅覚があるかを判定してもらいましょう。僕がお世話になった大きな病院には嗅覚検査室なるニッチな施設がある。早速、匂いのついた紙の束を渡され、それぞれが何の香りがしたかを回答することに。


 わからない……。

 今まで匂いを嗅いだことがないのだから、何かを感じたとて、「これがコーヒーだ!」「こっちは畳だ!」と類推できない。経験がないので比較ができず、推測になる。が、推測するには情報が無すぎる。この紙よりもわかりやすく、いかにも匂いそうな液体で何度も試すこととなった。

 きっと、これらが香水と呼ばれるものなのではないだろうか。棒を鼻に近づけていくと、なにやら鼻の奥へ刺激がある。痛い!腫れてるからね。けれども、刺激があったということは何かを認識した証拠である。無臭の空気ではない、鼻を「攻撃」する何かが襲ってくる!あらゆる棒を試していくうちに、恐らく特に匂いの強い棒は僕の鼻中へダメージを与えることがわかった。とりあえず不快であるので「臭いってことですかね」と回答。


 つまり、何本かの香りがついた棒、それは桃や木材などの「良い匂い」が多かったらしいが、僕はそのすべての刺激を区別なく「不快」で「臭い」と答えたわけですね。「匂いが強いもの=臭い」。経験が0の状態すぎて、全ての匂いが同じに感じるのだ。正直、こうなるとは思っていたので予想通りの展開に。

 その反応に、先生はたいそう喜んでいた。「やったじゃないか!」と肩まで叩いてくれる。本当に嬉しいのでしょう。先生が嬉しいと僕も嬉しい。そう、これは大きな一歩だ。0が1になった。0を1にするのは、1を100にするよりはるかに難しい。僕はまだ嗅覚初心者すぎて「区別」できないだけで、明確に「匂い」を知覚した。29年間嗅覚を使ったことがなくとも、神経は作動するのです。先生はめちゃくちゃ嬉しそうに「退院だ!」と満面の笑み。ああ、嬉しい。立派な医師が自身の手術結果に誇りを感じる瞬間の当事者になれた事実が、嗅覚を手に入れたことよりも嬉しい。人生の恩師となった方へ、心からの感謝を告げ退室する。ありがとうございます。


 というわけで、退院です。クオリアの話だ。みんなが「甘い匂い」「刺激的な匂い」とするものが、総じて僕は「臭い」と認識する。が、一歩ずつ、一歩ずつその差異を理解していくのでしょう。いつか「臭い」にも種類があることまでわかって、オタクの、おまえらの匂いがどんなものなのかを長い時間をかけて感じていこう。

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コメント (2)

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Nightmaren 10日前
Nyalra, You are such a wonderful writer and my Japanese ability is too poor to appreciate it fully in your native language. However, I am grateful that you took the time to write in English as well. I have also enjoyed blogging since I was a student and I truly enjoyed vividly reliving moments from your life. Thank you so much for sharing your thoughts, your memories, and your words! The way you write is relentlessly human and I respect it deeply.
Anonymous 11日前
Thank you Nyalra for translating and reposting this. I thought I'd just take a peek since I was curious but it ended up being a very captivating read. I wonder if there were any updates since this was written?