大衆は「死ぬよりマシ」だという綺麗事が大好きで、死ぬわけじゃないと説得をする。死なないために自傷行為をしたら、なんでそんな事するんだ、死にたいのかと距離を置く。そんなのもう百回言われているように生きたいからそうしている訳で。
今すぐ屋上から飛び降りたくて堪らない、一秒でも早くこの不安から逃れたいと空に焦がれた時、誤魔化すように手首を切ったとする。太ももをめちゃくちゃに殴るとかでもいいけれど。ちなみに僕はそのせいで脚がめっちゃ痛い。最近、睡眠薬と向精神薬が切れて不安が止まらない。
痛みの信号は身体の反応でも優先度があまりに高い。動物は総じて痛がり屋だ。たとえば、「今すぐ飛び降りたい!」とパニックで仕方なくても、手首がサクッと切れて切り口から赤黒い液体が流れたとしたら、それに伴う痛覚の方が思考を支配する。痛みに対する反応が優先される。結果的に、死にたくて死にたくて恐ろしい不安よりもリスカの痛みで冷静になります。アドレナリンが出て集中できるしね。
つまるところ、今すぐ死なないために自傷をする。または薬を多量に服用し、意識を飛ばす。このまま一人で起きてると死んじゃうから。僕は3階以上に住まない。ふらっとベランダから飛んだら楽になれる誘惑に抗える気がしない。
死ぬのは最も痛いから嫌だよ。
なんで自分で自分を傷つけるのか、「死にたいのか?」という質問はあまりにズレていて本質的でない。自傷またはオーバードーズは「生きたい」の変形であり、正しくは「なぜ死にたいのか」を訊くべきでないか。もしパニック状態が収まり、多少は理屈だって話せたら、死にたい理由を一つ一つ解消できるかもしれない。その過程にリスカや過剰摂取がある。
もっと単純に「孤独に押しつぶされる」かもしれない。その際、自らが血を流すことで「こんなに傷ついている」と感情を伝えている。誰だって共感をされたいがすべてを言葉にできない。とにかく自分がいっぱいいっぱいであること、このままでは孤独か希死念慮で潰れてしまうことを、会話でなく行動で端的に伝えるために自分の血を見せることは、もちろん倫理的に間違っているとしても、追い詰められた人間の思考としては合理的に思える。
眠れないからこうなる訳で、枕の上ですやすやと眠っていられるなら全部解決する問題だ。
追い詰められている人間に対して、「追い詰められるな!」と叱るのも変ではないか? 助けてって気持ちを上手く声にできない。または、その瞬間はどうしていいのかわからない。それが恐怖やトラウマと呼ばれるものだ。死という根源的な恐怖から逃れるため、生きるために自傷をする。たとえば太ももを激しく殴打するとかでもね。別に、その行為を肯定する訳じゃない。できれば僕も知り合いには自分を傷つけて欲しくないし、自暴自棄な自分が後悔することも知っているし自身でもできればしたくない。
しかし、真に追い込まれている際にその行動しか選択肢しかない原理を理解している。
迫り来る大きな痛みを、それなりの痛みで中和できるなら、そうする。
そんなことをしても救われないことくらい分かっている。でも、その場をまず生き残るためならせざるを得ない。大衆の言う「まずは生きていればいい」「生きればいいことある」を信じて、苦痛の夜を乗り越えるための生存戦略に必死なのですね。
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