メタ認知、離人と新作。

メタ認知、離人と新作。

書いた人 : nyalra nyalra


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 在り方として、僕はひたすらに自意識を燃料としている。それこそ毎日の日記も自分の切り売りそのもので。日々、自我を俯瞰して文章に変換する。それを6,7年続けてきた。えらいね。

 となると、自らの経験は脳内で自動的に文字となっていく。出力する際、「自分に何が起きて、どう反応したから、どのような結果が生まれたのか」を整理し続けることとなる。カッコつけた言い方をすればメタ認知である。

 相手の感情や行動原理を想定していく作業でもある。出来事には因果関係があります。たとえば目の前で相手が怒って悲しくなったと書く場合、なぜ相手が怒りを示したのか、もちろん他人の心なんて読めるわけがないため、状況証拠やこれまでのコミュニケーションから振り返る類推をする。そういった計算を経て、文章が出力される。

 まあ、できるかぎり他人の人格を明記したくないので、僕の日記には基本的に他者が登場しない。他者の心を類推して精神科医の真似事なんて最もくだらないことだ。

 が、もう7年くらいも己の主観を文字にしていくと、またnoteとは別に自分だけが振り返るための日記もつけているため、だんだんと感情や現象がすべて理屈だった形で記録され、記憶されてしまう。


 今年の四月、ある人物から行われた仕打ちが酷すぎて適応障害と鬱を併発した際の個人用の日記。このあたりは鬱々としていて文字も乱れている。21日時点では罪と罰という概念を用いて反省をしており、翌日は多くの方が気を遣って訪ねてくれている。

 以降、だんだんと圧力側の言い分に矛盾が見え始めたころに確信を持って嘘を突き付けるまで回復するのですが、やはりあまりに酷い仕打ちを受けた直後は混乱していますね。それでも「これは間違っているのではないか」と主張を通した跡があり、えらい。自分でも自分を褒めている。要するに、こうして数日後に振り替えることで、自分の感情と思考の動きは手に取るように見えていく。


 逆に言ってしまえば、ここから他者の類推もできます。


 通常、悪化した診断をされるほどに他人を追い込むような環境って無いわけで、なぜそこまで急に僕へ軋轢が生じたのか、本当に問題がないなら穏便に解決できるわけで、つまるところ明確な焦りが生じているはずだ、と。もちろん推理ごっこの範疇を出ないけれどね。ただ、因果には原因が必ずある。


 といった日常を数年続けてくると、どんどん雁字搦めになっていくので、途中は意識的に英語を学んだ。言語が違えば凝り固まることも減っていくでしょう。結果、それは上手くいったように思える。多種多様な修飾語で責任を回避し皮肉としてぶつける日本語とちがって、ストレートな英語の言い回し、または簡潔なジョークは、言語野に対して新たな刺激を与えてくれた。本当に言語の限界は思考の限界であった。


 こうなると多くのことが繋がり、世界という規模でみた自分の立ち位置を相対的に認識できるようになる。幸い、自作のゲームのおかげで僕は英語圏と中華圏でも知名度があり、「自分自身」を通して見ることができた。人は、自分事でないと熱中するのは難しいのだ。

 英語圏、中華圏にとっての「nyalra」とは何なのかへ意識を向けて出る旅は楽しかった。僕のなかでの「他者」が一気に広がり、この世界で実際になにが起きているのか、因果関係への理解が拡張されていく。

 翻って、インターネットでの評判や印象なんていくらでも覆ることも肌で知る。これもまた面白い体験で、毎日毎日浴び続ける批判も賞賛も数日後には消え去っていることであり、にゃるらというターミナルを通過する他者の自意識の車のようなイメージで固まった。車だから、せいぜい数時間で感情は互いに通り過ぎる。海の向こうでも同じ。自分がインターネットに生じた「駅」の一つと自認し、一皮むけた感覚に浸る。


 そのたび、少しずつ離人していく。

 ここ最近の僕は、それでもどうしようもない災害に見舞われたようなもので、余計に考え事が増えた。法の世界での戦いとなると、輪をかけてメタ認知の領域が必須となる。なぜなら法が裁く結果に感情論は持ち込まれない。言った言わないはどうしようもないので証拠を用意し、なぜ相手が契約に反するのか、虚偽や矛盾にあたる供述をしているのかを、きわめて冷静に弁護士と書き連ねなければならない。

 結果的に、たまたま意識していた論理性。己に起きた体験の言語化の総まとめテストのような一年間となる。一方、相手側は証拠も論理性にも欠け、おそらく4月時点のように「慌てている」のではないかと分かり、やはり文章を見ても感情論や抽象化に逃げていた。これは法的には非常に弱く、相対的に自信がつく。というか裁判になって証拠提出時に即まくられるような嘘を書くなよレベルではあるけれど。

 話を本題へ戻すと、といったプロセスがある以上、なんだか自分に起こるすべてが、後々己が文章として出力するための物語に感じられるようになってしまった。自己陶酔とも言える。歴史を決めるのは英雄でなく歴史家の著書だ。最後に立っていたものが記録した内容がのちに語り継がれる。僕は、僕に起きた現象の整合性を自身で2度、対外用のnoteと個人用の日記で毎日整理してしまう。こんなこと7年も続けていれば、だんだん浮世離れもするものだ。


 この特異な感覚を作品にしてみよう。

 どこまで言っても、僕は僕の自意識を燃料に走る暴走機関車でしかない。まったくどうなるのか分からない。因果はわかっても未来は誰にも不確定であり、まったく予期せぬ偶然が重なり合って奇跡と破滅が生まれる。

 この先に何が起ころうとも、僕はきっと文章へと変換して書き連ねていくでしょう。僕は、そういうモノなのだから。自閉症スペクトラムに生まれた、神が与えし使命なのです。



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コメント (3)

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reesrevo 1日前
I was wondering if this is the real website from that account posted the link on -> if you are reading this comment, then this section has not been tampered with or moderated to that extent.
Ahmed Mohamed 1日前
Reading this gave me a nice feeling because I relate to learning English, since it isn't my first langauge. I hope everyone gets a powerful energy that fuels them and makes them confident!
♡mayatang_chan♡ 1日前
A page from my private journal, from April this year, when something someone did to me was so awful that I ended up with adjustment disorder and depression. I can tell who are you taking about which is that scum MAKE ME WANT TO PUT 10000000000000 BOMB INTO HIS HOUSE, I wish we know what is going on back in April I wish to be there to give you big hugs at that time. We are all left in the cold while nyalra takes it all make me feel :'< but Nyalra came out stronger so I will cheer you up and cook more work ( •̀ ω •́ )✧