ライブに参加するという意味があまりわからないまま、30年と少しを過ごしてきた。
音楽は好きだからこそ、家で一人で聴いていた方が気持ちがいいのではないのか、知らない人みんなで同時に身体を動かす共感的な気持ちよさがどうにも苦手で、どことなく避け続けていたら今に至る。

普段から聴き続けている音楽が、クラフトワークかYMOで、上京してから「いつかYMOがもう一度くらいライブをやってくれるさ」と思っていたら、気づいた時には細野さん一人に。いつか自分はどちらかのライブへ行き、全員で同じ音楽を堪能する瞬間の意味を知ると思い込んでいた。
なので、今回のクラフトワーク来日は這ってでも行こうと決めていた。
実際のところ、チケットを応募してコンビニで発券し電車に乗るだけの行程で、地べたを這わねばならぬほどの苦労もなかったのだけれど。惜しむらくは、僕と同等に楽しみにしていたAiobahnが仕事で来れなくなったことだ。何度も「悔しい」と連絡が来た。少なくとも日本で観られるクラフトワークは、これが最後かもしれない。

カッコいい。
赤のシャツと黒いネクタイのファンもちらほら。

生まれて初めてのライブ体験は、初であろうともクラフトワークが「異質」であることを一瞬で理解する。
ファイズのように発光するスーツ、デカデカと表示される画面いっぱいの蛍光色。横にも揺れず、サイリウムも振らず、ただただ黙って傾聴する観客。
0と1の数字に包まれ、堂々と映し出されるCOMPTER WORLD。このシンプルさがドイツ的なアートであり、さらには「この人たちがテクノを築いてきた始祖なんだ」と、その静けさすら漂う佇まいから歴史が溢れ出る。


1、2、3、4。
各国の言語で数字を読み上げるだけの音楽を、何百の観客とともに鑑賞する。ただ、じっと。芸術に浸り、サイケデリックな色合いに溺れる。


無駄を一切省いた画面の迫力に感動を覚える。
こういった演出を思いっきり貫き通せる実力の裏付けが、50年の重み。
敢えてレトロを描いて進んでいるのでなく、彼らが作ってきた積み重ねの過程がこうなのだ。
クラフトワークが、電卓やパソコンのビープ音の心地よさを音楽として奏でてくれたからこそ、今がある。


あまりに大胆な線と色の使い方は、ゲルハルト・リヒターを想起させます。
ドイツのアートだなあ。
なんと美しいことでしょうか。


僕は音楽家 電卓片手に
このボタン押せば 音楽奏でる
子供の頃、それこそ電卓のような機器のボタンを押しまくって遊んだ時間。
そんな童心を音楽に見立てて曲に仕上げてくれる嬉しさ。クラフトワークの曲で特に好きですね、『Dentaku』。
巨大な電卓やパソコンのチープなCGで全員が拍手を送り、静かにビープ音へ身体を預ける謎の空間。ライブ後、ようやく立ち上がって盛大な拍手でクラフトワークを送る様子は、「芸術」への感謝であった。
サイリウムもコール&レスポンスも一切ない。なんならボーカルも僅かにしかない。
ただただ巨大なパソコンや文字を見つつ、その真下でじっと佇む発光する老人を眺めるだけ。
それが僕の初めてのライブ体験で、間違いなく人生でもトップクラスにサイケデリックで心地の良い時間でした。
クラフトワーク、大好き!!!

次点、ピンク・フロイドの爆音上映。
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