すぐれた批評とは、作品を彩る新たな視点での詩を贈ることではないか。
なにが、その作品の唯一性として「ある」のかを端的に、美的に、詩情を用いて表現できるかではないか。

一冊の本がある。
『バルタン星人はなぜ美しいか』。
素晴らしいタイトル。特撮雑誌で連載されていた著者のコラムをまとめたもので、ウルトラ怪獣の魅力たちについてこれでもかと語り尽くされた美文が綴られる。なんといっても表題の力強さがいい。もはやバルタン星人が美しいと認識できない人間はお呼びでないのだ。
怪獣なる異形の混沌に取り憑かれた哀れな特撮オタクのみと「美」を共有する、これはもう詩集と言っても、いやラブレターと言っても過言ではない。ウルトラ怪獣に、特撮に、それらを産み出した成田亨への恋文だ。
このキャプションを読めばあなたへだって瞬間で伝わる。左下。

「それは夏の夜を彩る巨大な花火さながら──」。
この一文だけで、あなたは「なぜ数あるウルトラ怪獣の中でバルタン星人は突出して人気なのか」わかったのではないか。彼は夜の街に怪しく光るアーティストだ。子どもたちは、その不気味なバルタンの姿に恐怖と同時に美を覚えてしまった。それがゴシックなんだ。

もちろん、バルタン星人の美しさ、2話にして頂点の一つとなる演出の完成度は、もはやネットを漁ればごまんと表示され、わざわざここで書く必要すらない。セミ人間がどうとルーツを辿って御託を並べることもできるが、やはりそれも小手先なのだ。上記のコラムのように、マネやモネらの印象派たちの絵画と比べて格式を上げてもいい。が、それよりもやはりあの一文だ。あれだけで僕は改めて2話を観返したくなってたまらなくなる。これが批評のあるべき形に直感する。

ああ、不気味に輝く彼のいびつな雄姿に見惚れてしまう。
誰が見ても一目でわかる「異形」に、僕らの童心は攫われてしまったのだ。この夜は間違いなく彼のためにある。子どもたちは、一夜かぎりの花火に囚われ、恐れるべき異形を愛してしまう。この一瞬を切り取って詩を作り出した者が居た。
「それは夏の夜を彩る巨大な花火さながら──」
夏の夜のたび、何十億の生存を背負って地球へやってきた彼の姿を、無機質なビル郡の先に探してしまうだろう。

己の信ずるモノの美しさを、いかに端的に、美的に、詩情を用いて誰かに伝えるか。そのためだけに生きる者が居る。僕らは物語やキャラクターのために筆を執る、作品に囚われた幸福な奴隷であり、敬虔な使徒だ。
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